科学万能な現代に、なぜ今、運命学である気学が求められるのでしょうか?

 

わたしと気学との出会い

それは、わたしが大学4年生の夏休みの時でした。日本を代表するお醤油メーカのアメリカ本社(サンフランシスコ)で、わたしは夏期休暇を利用した学生企業研修生として採用され、元気いっぱい研修と実地訓練を受けておりました。そして、卒業後はそのまま現地で社員として採用が予定されていました。

まさにその時、東京で会社を経営していた実父が高血圧症で倒れたとの連絡で、急遽わたしは日本へ帰国をすることになりました。父の健康問題から事業を継承するために、わたしは大学卒業後すぐに父の会社で働くことを躊躇なく選択しました。
それが、自分の本当にやりたい事なのか、また自分の適性にかなっているのかについて考える余裕さえなかった頃でした。

大学では貿易実務や商業英語を中心とした経営学を専攻し、いつかは海外貿易の実業の世界へ進みたいと考えていたわたしでしたので、事業継承は自分の選択肢の一つではあったのですが、自分の適性や能力がどの方面に向いているか、またそれを発揮するには将来のどの時期に、何処で、何をやれば良いか、と言う設計図も書き上げていない状態でした。人生には晴天だけでなく、暴風雨や濃霧に遭遇することの真の意味も分からず、天気図も羅針盤も持たないわたしは、ただ穏やかな人生の入り江で戯れていたに過ぎませんでした。

少しづつ健康を回復した父の会社で働き始めて2~3年ほど経った頃でした、父は突然次のようにわたしに言い出したのです。
「おまえは未だ若いから、何でもできると今は自惚れているだろうが、人生はそうは簡単にはいかない。わたしの年齢と経験があっても、初めて会う人物の判断は本当に難しい。ましてや経験も浅いおまえでは、この先に待ち受けるであろう様々な人たちとの出会いを人生で活かすことは到底不可能なことだ。特にビジネスでは、他人を見る目がもっとも重要だから、おまえは他人を判断する目を気学で習得するように」。

それは、20代半ばのわたしには、理解不能でした。先ず「気学」って何?の世界でしたが、いわゆる運命学には一応の興味はありましたので、父が薦める東京荻窪にありました「大正館気学会」へと通い始めたのです。この大正館気学会は、日本の気学の宗家である園田真次郎氏が創設され、その後ご子息である矢島滋樹氏が継承・運営をされていらっしゃいました。

その後、わたしはここで矢島先生から習った気学の知識を、事業の計画を立てそれを実施するタイミング、会社の人事、配送センターや工場設立の時期と立地場所等を決定する目安としていきました。そして自分自身の将来の運気を強めるために「吉方位取り」で転居も実施したのです。その時にはわたしは、自分の転居の時期を数年前から予め計画して、その通り実施をするまでに気学に入れ込んで行くようになりました。
しかし、それは単なる成功欲や金銭欲を実現するために過ぎないものでした。気学が本来有する「人生における天気図と羅針盤」の意味さえ理解せず、「ビジネスが成功するためには」、「お金を儲けるためには」との物欲を追求していたのです。それでも、その結果は、驚くほどに、わたしの望み通りになっていったのです。

しかし、気学の深遠なる意味を理解するには、まだまだ大いなる道のりを歩むことが、当時のわたしには必要なのでした。